頭の中身をprintf

おっさんITエンジニアの頭の中身を記述するだけのBlog。なお、基本コンセプトは「理系男子」。目標としているのはHellow World!以上の文字列をはてなブログに出力すること。最近、妄想ブログになりつつあるのが悩みといえば悩み。

成長の証

成長の証

日直さん

ある日、下の子から学級の日直を努めスピーチをした時の話を聞いた。

どうやらその日はスピーチするネタが皆目検討つかなかったらしく、まあこんな感じの、ある日の我が家での出来事をスピーチにしたらしい。

「ある日、わたしの家ににもつがとどきました。わたしは何かおもしろいものがとどいたのかな?と思いにもつをあけるところを見ていました。でも、いそいでにもつをあけてみたら、中にはいっていたのはおもしろいものではなくパパがかったガラクタのパソコンでした。わたしは、それを見てがっかりしました。これで、スピーチをおわります。」 f:id:macfellow-norland:20210613090616j:plain:w320

うむ。

将来この国を担うであろうピピチピチの若者達に向けて少々恥ずかしいスピーチな気もするが、まあ事実だ。

多分それはネットオークションで4,000円ちょっとで購入したノートパソコンのことだろう。なお、ちゃんとOSを最新化させて普通に動いている。ちなみにそれとは別にキーボードがUS配列のノートパソコンも4,000円程度で購入していて、この妄想ばかりのBlogを執筆するために活躍している。

ちなみに、このスピーチへの質問はこうだったらしい。

「家には何だいパソコンがあるのですか?」

「3だいです。」

いやー違うんだよなー。それとは別に4台目がヘッドレス運用でウォークインクロゼットの片隅で24時間稼働している。まあヘッドレス運用なんてピチピチの君たちにはまだ早いから3台にしておこう。

まあその。

君たちも大人になったらその楽しさが分かる、かもしれない。

呼称「ジャンク品」

ある人はゴミと呼び、ある人はガラクタと呼ぶ。おそらく大多数がゴミとかガラクタという呼称に違和感を覚えることは無い。だがしかし、少なからずそれをゴミともガラクタとも呼ばず目を皿のようにして品定めする人たちがいる。

そう、その人たちはそれをジャンク品と呼ぶ。
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ネットオークションやフリマアプリですっかり市民権を得てしまったジャンクという言葉。いや自分が勝手に市民権を得ていると思っているだけかもしれないけど。

ジャンク品を品定めするのはひとつのトレジャーハンティングなのだ。そこに絶対的な正解は無い。その姿から現状の動作を類推する鑑識力と類推力、ジャンクに向き合い自分の経験と知識に基づき感じられる一種の勘、そして手元のスマートフォンに素早く型番を入力し得られるネット検索結果を基に、そのジャンク品に自分が手を加えることで元の姿に戻る可能性を見極め、希望を込めつつ握りしめレジへと向かう。まあ別にスマホに素早く型番を入力する必要は無くてゆっくりやればいいんだけど。

トレジャーハンティングとは言っても、ジャンク品はそう簡単にトレジャーに姿を変えてはくれない。どれだけ修理して元の姿に戻り満足な動作を取り戻したとしても、結局のところは中古品なのだ。よっぽど世の中を騒がせた名機だとしたら自他共に認めるトレジャーになってくれるかもしれないが、そんな名機はあまりジャンク品にはならない。時たまネットオークションなどで見かける「正常動作美品ジャンク品扱い!」なんていうジャンク品なのかそうでないのかよくわかんない位置づけになる。

いやいやそれってもうジャンク品じゃなくない?て言うかジャンク詐欺?ジャンク品と聞いて心を動かされるワタシみたいな人を狙っている?いや狙ってどうするんだよそもそも正常動作品って時点で興味激減だし。ジャンク品なんてのは動作しなくても何かが足りなくても恨みっこなしじゃないか。だからこそのジャンク品じゃないか。

最初からちゃんと動くのが分かっているなんて、なんか面白く無くなーい??

高揚感とその後

以前、ジャンク品の山の中から、よく名を知られているメーカーのワイヤレスマウスを110円で購入した。使用感も少なく汚れや傷も少ない。電池を入れてやればまず間違いなく使えそう。ジャンクのマウスにはほとんど付属しないレシーバー(パソコンのUSBポートに差し込む受信機)もちゃんと付属している。ただひとつ、内蔵する乾電池を隠す裏蓋が無いだけなのだ。
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なんだ裏蓋が無いだけなら使う分には支障は無いじゃないか。どうせマウスの裏側なんて使っているときに見えないんだし、と軽い気持ちでルンルン気分で購入。ちなみにこの独特のルンルン気分は良質のジャンクを購入したときにしか得られない独特のモノだったりする。

帰宅して電池を入れると赤いLEDの光が灯る。ほーらやっぱり使える。だがしかし、パソコンにレシーバーを接続して5分くらい使ってみて気づく。かなりの頻度で電池が抜け落ちてパソコンのマウスポインタが止まってしまう。
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なるほど。

電池が抜けないようにそ〜っと動かせば使える。いや使えるんだけどなんでこんなに気を使わなきゃならないんだ?ポインティングデバイスなんだから気を使わずともパソコンの画面で狙った場所にビシッとポインタが定まってくれるのがマウスなんじゃないか?

厳しいのはプレゼン資料なんかを作るとき、四角い箱やテキストボックスを動かそうとドラッグしていったら、電池が抜け落ちる可能性を忘れ途中で箱やテキストが立ち止まってしまう。いやいやその箱やテキストはもっと向こう側に持っていきたいのだ。まあこのジャンクマウスでプレゼン資料を作ろうとする方もどうかとは思うが。

うううううむ、これは失敗してしまったか?

いやこれで魔が差してしまうようではジャンク品を購入する資格はない。ジャンク品を購入する上で最も戒めなければならないのは「これはダメだと諦める心」なのだ。諦めてはいけない。自分はルンルン気分でジャンク品を購入したのだ。この程度で諦めてどうする。電池を別な方法で固定するというやり方もあるし、ちょっとしたプラ版があれば裏蓋くらい作れそうじゃないか。100円ショップで工業用ダイヤモンドを散りばめた棒ヤスリや、ぱっと見安っぽいけど材料を切れないことは無い糸ノコギリを100円プラス消費税で購入できる時代じゃないか。裏蓋ぐらい作ってしまえば良いのだ。なお、そのへんの工具を購入するためのコストについては今回作為的に議論の対象外とする。
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きっと多くの人にとってこのジャンクマウスはトレジャーではない。むしろ不良品で、これで110円ならそれこそ100円ショップで300円と消費税で新品マウスを購入するのが当然だろう。だが100円ショップのマウスでは裏蓋を作る体験ができない。新品なんだからそんな裏蓋をつくる体験をする必要性が無い。

マウスの裏蓋を作るとしたら素材は何が良いのか、電池も含めちゃんと固定されるようにするにはどのような形状にすれば良いのか、その思考や裏蓋を作る体験こそがトレジャーじゃないか。ジャンク品をただ額面通り見定めて不良品と一蹴してはいけない。ジャンク品の向こう側には、知識や経験、技術を必要とする様々な問題を乗り越え正常に動作させるという最終目標が見え隠れしているじゃないか。ジャンク品の向こう側の目標を与えてくれることも含め、それはトレジャーと姿を変えるのだ。目の前のジャンク品をそのまま受け止めて既読スルーしそうな勢いで直視することを止めてはいけない。ジャンク品は我々に目標を与えてくれる貴重な存在なのだ。その目標を目指していくからこそ、人は成長していくんじゃないのか??

ん?

ああ。

ワタシのようなごく一部の変わり者だけかー…

ひとりじゃないかもしれない?

またある日、毎週のように足を運んでいるジャンク品が並んでいるお店に足を運ぶ。さて今日は何かご縁のあるジャンク品にお目にかかれるだろうか?ガラガラとコンテナの中に無造作に放り込まれているテレビリモコンの山をひっくり返した後、やっぱりそう簡単にお目当ての品にお目にかかれないよねーなんて思う。なお、このときはネットオークションで落札した地デジを観れる中古パソコンのテレビリモコンを探していた。

んー、やっぱ無いかー。なんて顔をしていたら、

「色々とあって大変だねぇ?たくさんあるからぁ。」 f:id:macfellow-norland:20210613094303j:plain:w320
※写真はイメージです

んん?

店内放送の音楽ばかりが聴こえ、誰も言葉を発していない店内で急に話しかけられた。

「あぁ、そうですねぇ。でも楽しいですよー?」

なんて慌てながら答える。誰の会話も無い店内で相手に聞こえるように声を出すのはちょっと勇気か必要だったけど、いや本当に楽しんでいるのだから素直に答えた。声をかけたのは見たところ初老の男性。そろそろリタイヤされるのかな?なんてお年頃に見えた。

「いや俺も電気屋やっててさぁ、有名なあのメーカーのノートパソコンも100台くらい直したよぉ。電気屋やってるから資格も色々と取ったし。資格は大事だねぇ。」

ちょっと話す勢いに圧倒されながら切り返す。

「えー100台ですか??その数はスゴイですねぇ!」

勢いは止まらず。

「ああ、いくつになっても好きなことは忘れないねぇ。こんなの(ジャンク品)も直して売ればいいじゃねぇか、って店に言ったら直せねぇって言うんだよ。もったいないねぇ。」

確かに直せばいいじゃん、とは思う。でも今の若いバイトのお兄ちゃんとかには難しいんだろうなぁ。

「あー、いまの若い人なんかには難しいかもですねー。」

だってこんな手間がかかること、最近の若い人たちがやるとは思えないもん。ワタシみたいにジャンク品の向こう側に意味を模索する変わり者だけだろうし。

「兄ちゃんいくつ?4x歳?あぁ、一番イイ時だね。いゃあ、会えて良かったよ。じゃあまたな!」

名前もわからない初老の男性は勢いの良い声を残して去っていった。言っていた通り、家電とかをイジったり直したりするのが大好きなんだろう。

ジャンクショップからの帰り道で思った。もしもショップの店頭にオープンテラス席なんかあったら、一緒にジャンク品片手に小一時間語り合うこととかできたかもしれないなんて。

まあ店頭に若者ではなくワタシみたいなおっさんどもが、購入したジャンク品を片手にオープンテラスに集まってきたらお店もいい顔しないだろう。そしてその時反対の手にあるのは緑色した人魚のロゴが入った紙コップに生クリームが浮かぶ、ほにゃららマキアートじゃなくて昼間なのにワンカップみたいなのが似合いそうな勢いだからちょっと見るに耐えないかもしれない。そしてそのうちにハンダゴテで溶けたハンダの匂いや、ミニルーターを回す音とか聞こえてきたら匂いや音を聞きつけてますますおっさん達が集まって来るかもしれない。どうやらジャンクショップの店頭にオープンテラス席を設けるのは得策ではなさそうだ。おっさんホイホイになってしまう。
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でもね、ワタシも会えて良かったです。

だってこんな手間のかかることを愛する人が身近にいるってことを、貴方は教えてくれたのですから。

達成感と成長と

さてマウスの裏蓋はどうしよう?裏蓋がないマウスのことをすっかり忘れていたらカミさんがある日、古新聞をストックしておくためのケースを使わなくなったから切り刻んで燃えないゴミに出したいと言い始める。

ああそういえばこのケースって長いこと使っていないな。じゃあ捨てるか。ということでこれまた100円ショップのノコギリで四隅を難航しながらも切り進めつつフと思いついてしまう。このポリプロピレンのような素材の柔軟性、厚さ、色といいマウスの裏蓋に最適なんじゃないかと。

切断には難航はしたものの、燃えないゴミ袋にその大半を納め依頼元のカミさんに切断の完了を報告。ただし、そのポリプロピレンの一片はコッソリ自分のお宝ボックスに忍ばせる。なおこのお宝ボックスは家庭内では「ガラクタの山」と呼ばれ、家族には軽く白い目で見られている。うん。まあ、確かにガラクタの山ではあるな。否定できない。否定しない。

家族が寝静まった後、ポリプロピレンの一片を切って削ってマウスの裏蓋を作成。さて電池はどうなる。もちろんプレゼンソフトで動作を検証してみる。ポロポロとこぼれ落ちていた箱や見るからに大袈裟な言葉を収めたテキストボックスは軽やかに位置を変え、余計な気遣いをしなくてもマウスの赤いLEDの光が消えることが無くなったことを確認する。
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ああああ、またやり遂げてしまった。

ジャンク品の向こう側に見え隠れしていた目標に、またひとつたどり着いてしまったんじゃないか?誰もめんどくさくてやる気にならない、裏蓋を新たに作るなんてことでまたジャンクマウスは復活してしまったんじゃないか?そのままだと電池が外れてしまいプレゼン資料を完成させることができないマウスを、また現場の第一線に送り込むことができたりするんじゃないだろうか?いや言っておきながらだがマウスの現場の第一線って何処なのかあまり想像がつかないが。

威張るつもりは無いし、目を見張る偉業を成し遂げたワケでもない。ただこう思うのだ。ジャンクを再び元の姿に戻し、再度命を吹き込むことができたのではないかと。だからここはどうかひとつ、法外な値段の治療費を請求はするけれど、どんな難病でもオペで治療してしまう年中黒いロングコートを身に着けているあの無免許ドクターにでもなった気分で、お宝ボックスにマウスを仕舞いながら自分を褒め称えるようにこう言わせてほしいのだ。

「嗚呼またひとつ、ジャンクを救ってしまった…」

ん? 

あれれれー??

マウスを入れたら、ガラクタの山の高さもちょっとだけ成長しちゃったかなあー?
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まずい。

また家族にいい加減に片付けなさいと言われ、泣く泣く少しずつネットオークションに出品することになるんだろうか?いやジャンク品を愛する人に悪い人はいない。人はジャンク品に命を吹き込み、そのたびに成長するのだ。だからそんなちょっと偏った方向に成長思考が高い人のために、成長の度合いを目に見える形で残しておくべきではないか。

そうつまり、このガラクタの山の成長度は、そのまま人間の成長度を表しているのだ。

だからどうかひとつ、ガラクタの山の成長は大目に見てほしいのだ。

ねえ?愛する家族たちよ。

その仕事「ラスクトゥ」

大変ですよね


世の中で「名もなき家事」が流行っているっぽい。いや流行っているなんて言ったら世の中で粛々と家事をこなしている皆様方に失礼だろう。ようやく話題になってくれたか、って感じかもしれない。

家事は大変だと理解はしているつもりで、月に一回ほど休日に子供達と自分だけで終日留守番をしていることがある。コレもなんだよ月に一回程度かよ?とお叱りを受けるポイントかもしれないけど、幼い家族がいるとまる一日自由が効かないことを実感している、つもり。だからまあ月に一回くらいは自由にしてきなさいと送り出す気にもなる。だって本当に大変なんだもん。

問題は名も無き家事が存在することよりも、そんな家事を立派にクリアしているにもかかわらず何の手応えも無いことかもしれない。

名もなき八つ当たり


職場の話になるのだけれど、若かったころ月に一度夜間バッチ(システム夜間処理)の立会作業という仕事があった。深夜から明け方まで、お客様の翌日業務に影響が無いよう、夜間バッチに異常があったときは即座に対応、もしくは上司にエスカレーションするという重要かつ極度の睡魔や空腹と戦う必要のある忍耐が必要とされる仕事だった。

日々の業務状況を見て仕事量が多くなければ前日の日中は休んだり翌日は終日休んだり、忙しければ翌日も継続してオフィスで…とこの先は多くを語るつもりはない。いやコレも20年くらい昔の話。今だったらそんなの簡単に許されないんじゃないか。今となってはその部署から離れてしまったし現状どんなことになっているかはよくわからない。そして、語りたいのはこの「夜間バッチ監視」という立派な名前がついた仕事ではない。

ある夜のバッチ監視中、オフィスビルのトイレの帰り道で自分の席まで歩いていくと、部屋の入口にあるガラス扉の向こうに古びた数十本ものLANケーブルが机から床に垂れ下がっていた。そしてその床には可動していないペディスタイルのサーバとブラウン管のディスプレイがホコリをかぶり転がっていた。サーバもブラウン管も自分が所属する部署の所有物で、そしておそらく数十本のLANケーブルも所属部署の所有物と思われた。
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設置場所は前述の通りオフィスのガラス扉を入ってすぐ。平日は毎朝見る光景で、何人もの社員がこの景色を眺めて出社しているはずだった。そしてトイレの帰り道に、自分もこの見慣れた景色を眺めて自分の席に向かうはず、だった。ただその夜の夜間バッチ監視中は何かが違った。端的に言うと心の底からイラッときたのだ。

毎朝出勤するときやトイレの帰り道でも目に入り、誰でもガラストビラの向う側から見えるような場所に「使用されていない」サーバとブラウン管にLANケーブルが延々と放置されている。しかも、よりにもよって自分がこんな睡魔や空腹と疲労に耐える必要がある夜間バッチの監視中であるにもかかわらず、ホコリまみれの機材は堂々と自分の目に入ってきた。

人間、相当に疲弊すると見たもの聞いたもの味わったものすべて湾曲して理解したり感じたりするのかもしれない。まだ若かったワタシは他に誰もいない深夜のオフィスでただ独り、端的に言うと「ブチ切れた」

夜中にこんな醜態をさらしやがって! コイツら今すぐ俺が掃除してやる!!

…ん?

掃除ぃ??

もう一度言うようだけど人間かなり疲弊すると、物事の判断基準と判断結果もおかしくなるらしい。物静かな深夜にワタシは突如、整理整頓掃除片付けを始める気になった。いやなってしまった。

スーツのズボンがホコリにまみれ白くなってしまうのも意図せず、両端共にサーバにもHUBにも接続されていないLANケーブルを何本もたぐり寄せ巻取り、それらが集められているダンボール箱に放り込む。中には隣のまた隣のテーブルまで伸び、ご丁寧に床にガムテープで固定されフロアマットで覆われている15mはありそうな長いLANケーブルもあった。フロアマットをめくりガムテープを剥がし、巻き取ると大きなドーナッツ状の物体が出来上がりそれもダンボールに投げ入れた。
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手を汚しながら自分でも理解していた。これは八つ当たりだ。日々の業務で受けるストレスと睡眠不足に空腹に疲労が折り重なり、そこに視覚的にヒドイものを見てしまったというストレスも加わり、とにかくそれらに対して何かをせずにはいられなかった。ただその対象がホコリまみれでトグロを巻くLANケーブルに古びたサーバとブラウン管だっただけなのだ。

業務に追われる日中に誰もやるはずもなく、主的な業務でもなく、評価をされるはずもなく、汚いものを触りたがるはずもなく、結果が出るはずもなく、上司にやれと言われたわけでもなく、共感を誘うわけでもなく。自分以外からしてみれば素晴らしくどうでもいい「名もなき仕事」を深夜に独り、何かに腹を立てながら衝動的にやり始めた。

サーバを水拭きするのは怖かったので何枚ものティッシュでホコリを払い、ブラウン管とキーボードとマウスを然るべき向きに設置しなおし、電源を入れれば使えるようにした。ただし、既に用途を終えているため誰も使いやしない。サーバの隣に投げ捨てられるかのように放置されている引き出し収納もホコリを払い、然るべき向きに置き直した。引き出しの上にコマンドリファレンスを広げながらサーバで作業をしようと思えばできるような気がした。まあ、誰も使うはずが無い。

八つ当たりの清掃作業を終えたとき、深夜のオフィスで独り満足をした自分がいた。何の根拠も無いまま衝動的に取りかかった清掃作業を終え、主目的である夜間バッチの監視作業も無事正常終了を迎え、その日の仕事を終えた。そしてそのとき(今思うと本当に恥ずかしいが)明日、いや既に日付をまわっているので本日の朝、誰かこの姿に気づく社員が一人くらいいるんじゃないか。そして自分の周りで、いったい誰が片付けたんだ?と声を発する者が一人くらいいるんじゃないかとアタマの片隅でちょっとだけ、ほんの少しだけ期待した。

ああ、徹夜だからアタマが回っていないんだな?

いるワケがないじゃないか。

自己満足


その先は記憶が少しあいまいなのだけど、確か業務が忙しくて一度帰宅し午後から出社したような気がする。睡眠不足で回るはずのないアタマを奮い立たせ、例のガラス扉からすっかり片付いた姿を眺めつつ出社した覚えがある。自分はとても爽快で気持ちが良かったことは覚えているが、前述した通りこの清々しい姿について言葉を発する者など自分に聞こえる限り誰一人としていなかった。そして自分も誰に感想を求める事も無かった。夜間バッチの監視中にお前は何をやっていたんだ?と悪者を問いただす目線で理由を問い詰める者がいるかもしれない、というとても寂しい判断もあった。

ただ、自分は何故かとても満足していた。ああ、これで毎朝ガラス扉の向こう側からあのみっともない姿を眺める必要も無い。毎朝清々しい気分で出社することができる。夜間バッチの監視中に腹を立てることも無い、と。

その後、お客様との契約終了に伴い夜間バッチの監視作業が無くなり、サーバも廃棄され姿が無くなった。そのうえ自分も部署を異動し根本的にあの「清々しい姿」とは縁が無くなった。でも今でも深夜にいきなり掃除と片付けを始めたことについて、まったく後悔は無い。

ま、要は自己満足なんだろう。

名もなき家事、名もなき作業、名もなき仕事なんてのはみんな、こんな心境でやっているのかもしれない。自己満足なのかもしれない。その意義を自分の中で見つけているからできるのかもしれない。逆に自分の中での意義を失ったとき、ものすごい憎悪が湧いてきて世の中に噴出するのかもしれない。その噴出物が今の世の中ネットがあるおかげで色々な人の目に留まったんじゃないか。昔から闇に葬られてきた噴出物が、表舞台に出てきただけなんじゃないか。

おそらく噴出物を無くすことはできないだろう。だってそもそもが自己満足に依存している。スタート地点が自己満足でゴールも自己満足なのだから、自己満足できる人しかそんなことはやらない。だから名もなき家事、名も無き仕事を粛々とこなしている人は認めてあげなきゃならないんじゃないか。ある日その人が去ったとき、その存在の大きさにに気付かされるのかもしれない。自分は自らあの職場を去る前にサーバとブラウン管が先に去ってしまったけど。

認めてあげよう


さてならば、どう認めてあげれば良いのか。個人的な感覚ではあるけれど「あのLANケーブルとサーバをこんなにキレイにしてくれたんだ!ありがとう!!」なんて満面の笑みと明るい声で周りに聞こえるような大きさの声で面と向かって白昼堂々と伝えるのは間違っている。完全に逆効果だ。だって自己満足するためにやってるのだ。お前のためにやってるワケじゃ無いよ面倒くさいな、と逆に恨み節になるに違いない。名もなき仕事の結果を評価するのは自分自身なのだ、自己満足なんだから。

自分も夜中に掃除を始めたことを評価してほしいなんて思ってもいないし褒めてくれとも思っていない、いや誰か話題にしてくれやしないかとアタマをちょっとだけ過ぎったから説得力が無いけれどまあ、なんかキレイになったね、片付いたね、くらいのヒトコトくらいがあれば嬉しかったかもしれない。

だからその人を直接褒め称えてもダメなのだ。間接的に黒子的に縁の下の力持ち的に、そういえば最近散らかってないね?とか、なんか仕事が思ったより早く終わったね?とか、最近コピー機の紙が切れることが無いね?なんて世間話をその人に「聞こえるようにそっと」褒め称えれば良いのだ。自己満足に始まり、自己満足に酔いしれることができる達観した人ならば、それ以上の褒め言葉は無いだろう。念の為繰り返すが、ワタシは夜明け前に誰か話題にしてはくれないかと少しだけ期待したから決定的に達観した人では無いということが分かる。

考えてみるとこの「聞こえるようにそっと」を具現化して誰でも簡単にできるようにしている仕組みがある、SNSの「イイね!」ボタンに他ならない。スマホSNSの投稿をささっとナナメ読みして「イイね!」をタップしてはいおしまい。これだ。このさり気なさを感じさせる「イイね!」ボタンのタップこそ、自己満足を目的として大袈裟に褒め称えられることを良しとしない達観した人々に必要なのだ。笑顔で褒め称えられるよりも、何処の誰だか分からない人に匿名で押された「イイね!」の方が喜ばしいだろう。
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ならば「リアルイイね!」ボタンを設置してやれば良いのか?押しごたえのある大きなボタンと、カウントアップメータが備えられ例のサムアップしたアイコンが描かれたIoT機器があれば満足してくれるだろうか?IoT機器なんだから「リアルイイね!」の数はクラウドに連携され集計結果のダッシュボードはウェブブラウザで簡単に見ることができるようにしたらどうだ。いやいやそんな仰々しい「リアルイイね!」ボタンが自分の近くに設置されていること自体、自己満足に対しては屈辱的だろう。

ああめんどくさいなあもう、じゃあARにしてたらどうだ。社員全員が日常的にMicrosoftのHoloLens2を装着して、ある日出社したら社内数か所に「バーチャルイイね!」が現れるのだ。HoloLensなんだから特別な操作など必要なく、ただ「バーチャルイイね!」ボタンを指先でエア押ししてやればいい。ダッシュボードを見る必要だって無い。ボタンの傍らに押された回数が集計され空に浮かび表示されるだろう。まあその、日本のオフィスだからみんな大好きExcelで集計できるようにCSV出力のインターフェイスくらいは用意する必要があるかもしれない。

なお、常にオフィスでHoloLens2を装着していられるのか課題は残るが、アルミホイルを全身に巻きつけたような銀色が眩しい古いSF映画に出てくる宇宙服のようなユニフォームを全社員着ているとなお良いような気がする。

自分がそこで働きたいとは思わないが。

名も無き仕事とジョブ型雇用


さてここで気になることがひとつある。最近ネットを賑わせている終身雇用とジョブ型雇用の話だ。

終身雇用はもうできないと巨大企業の社長が明言したと話題になったりしたけど、まあそうなんだろう。変化に追いつくにはそれくらいやんなきゃならないんじゃないか。変化の少ない環境で淡々と仕事をできているならまあ、もう少し黙っていてもいいかもしれない。でも淡々と仕事ができているのも時間の問題のような気がする。新型コロナウィルスだって予期もせず押し寄せてきたんだし。

ジョブ型雇用でオフィスに年収数千万のビジネスマンが揃ったらきっと、年度の最初に目標が課せられるのだろう。今年度は数億売り上げます!業界のプラットフォーマーとしてイニシアチブを取ります!なんて威勢のいい言葉が並ぶんだろうか?

ちょっと待て、威勢がいいのは良いとして「名も無き仕事」は誰がやるんだ。

自分がやったから、って決して威張るわけじゃないけれど、サーバがホコリまみれで転がっていたりコピー機の周りにミスプリントしたコピー用紙が散乱していたら年収数千万円プレイヤーが働くオフィスとして示しがつかないんじゃないか?いやクラウド当然の今の時代にサーバが転がっている可能性は限りなく低いと言われたら反論できないが。

そんな「名も無き仕事」は清掃業者がやるから放っとけば?なんて一蹴していたら外国語で記載された大切な資料をいつの間にか清掃担当の人に捨てられたりするんじゃないか?そしたら大切な資料を放置していたくせに年収数千万円プレイヤーは激怒するんじゃないだろうか?それはあまり同情できない。

やはり年収数千万円プレイヤーにも名も無き仕事をやってもらおう。ただ年収数千万円プレイヤーは年度始めの目標に「名も無き仕事」を組み込んでおかないと重い腰を上げてくれないに違いない。勝手な想像だが。

だからやっぱり「名も無き仕事」に名前をつけよう。年収数千万円プレイヤーが威勢の良い目標を設定するときに、その他の目標に名前負けしないような名前をつけるべきだ。「オフィスクリーン」なんていう昨今の日本人が簡単に想像つくような中途半端な名前では名前負けしてしまう。え?ナニソレ美味しいの?みたいな名前が必要だ。もちろん年収数千万円プレイヤーに似合うよう最低限外国語由来の名前でなければならないだろう。

というわけでご多分にもれず英語でだけど、こんな感じでどうだろう?

  • エクスチェンジアトラッシュレシービングプラスティックバッグ
    略してExaTRPB。カタカナで表現するとエグザトリッヴ
    おお、なかなかカッコいい。毎日必ず発生してしまうゴミを受け止めるアレがいっぱいになったら交換するわけだ。
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他にはどうだ?

もうひとついこう。

  • ブリュゥグリーンティアンドストアインリフリジュレイタァ
    略してBwGTASIR。カタカナで表現するとバゥグタズィア
    なかなか力強いじゃないか頼もしい。夏になると冷蔵庫で冷やされているアレは絶え間なく用意されている必要があるわけだから、常にこれは意識しておく必要がある。
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つまりこうだ。年度の始めに年収数千万円プレイヤーとそのボスとの間でこんな会話が交わされるのだ。

:今半期はエグザトリッヴ100件を目標にします。
:「いや燃えるゴミの日は毎週2回あるだろう?その2倍は目指さなきゃ評価できないよ。
:ではサプテオス50本では?
:そんなにサプテオス案件があると思うのかい?あれはある意味アクシデントなんだから。
:ではエグザトリッヴ100件にバゥグタズィア200件では?
:冬季はバゥグタズィアがそれほど伸びるとは思えないが、まあ良いだろう。良い報告を待っているよ。
:ありがとうございます

うん。

これで年収数千万円プレイヤーのモチベーションアップ、間違いなしだ!!

たぶん。

世界は名も無き仕事でできている


まあそんなこんなでみんな気が付かないところで世の中の様々なところに名も無き家事や仕事がゴロゴロ転がっている。そんな家事や仕事に誰も気づかず毎日を過ごしているだけで自己満足に感謝だし、缶コーヒーのキャッチコピーで有名な「世界は誰かの仕事でできている」ってのは核心をついているような気がする。

ここはひとつ堂々とした名前がついている「誰かの仕事」だけじゃなくて「世界は名も無き仕事でできている」なんていう別バージョンも使ってほしくなる。缶コーヒーじゃなくてゴミ袋の片隅に「世界は名も無き仕事でできている」とプリントされていれば交換する度に泣きそうになるかもしれない。

サランラップの芯に小さく「世界は名も無き仕事でできている」と小さくプリントされていれば、さっきまでそこにいたはずなのに透明な世界で見失ってしまったその終端をサプテオスするのだって苦にならないかもしれない。

緑茶のティーバッグにプリントするのは抵抗がある人もいそうだから、100円ショップのティーポットに「世界は名も無き仕事でできている」とプリントしてもらおうか。それだと100円ショップのはずなのに税抜150円になるかもしれないけれど、冷蔵庫に入れる度に涙を誘うに違いない。

というわけで世界を構成している名も無き仕事に敬意を評し、感謝しつつ毎日を過ごそうじゃないか。

 
あ、そうだ。

あのときのLANケーブルとサーバの片付けをカタカナにしてみたらどうなるんだ?

  • ランケイボゥアーンドサァヴァクリィニングトゥユゥス
    略してLaSCTU
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「あれー??これって誰かラスクトゥしたんだー?」

んー?

まあその。

 
…俺なんだけどねー??

Linuxで確定申告の書類を作成する(e-Taxではなく書類郵送)

確定申告の時期なので医療費控除申請のための書類をLinuxで作成してみた。特別なことはしていない、と言うよりもLinuxで普通のPDFファイルを印刷するための手法を使っただけなので、この手順で確定申告ができるとも限らないのでくれぐれも自己責任

プリンタを認識させる。


我が家にあるプリンタはCanonのiP7500というWindows10ではもうサポートされないくらい古いプリンタだけど、必要十分なので我が家ではまだ現役。Linux Mint 19.3 CinnamonだとUSB Type-Bケーブルで接続するだけでドライバを導入する必要もなく認識してくれるので、我が家ではますます現役。
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医療費集計フォームの入力


国税庁のWebから「医療費集計フォーム」をダウンロードできるので、昨年分の医療費領収書を手元に用意してガシガシ入力する。驚いたのはExcel 2010、2013、2016、Excel for Mac 2016に加えてLibreOffice 6.0と6.1に対応してくれている。なのでLinux Mintユーザも安心して医療費集計フォームを入力できる。

www.nta.go.jp

なお平成28年までしか対応していないV2のフォームもダウンロードできてしまうので注意。V3を使用しましょう(最後まで入力し終わってからV2だったことに気づいた)

確定申告等作成コーナーで申請書を作成する


あまり考えずに源泉徴収票を参照して確定申告等作成コーナーに各種パラメーターを入力して申請書を作成する。まあ医療費控除申請なので、基本的にあまり深くは考えずに各種パラメーターを入力。

www.keisan.nta.go.jp

ダウンロードされるPDFを印刷する…んだけど


なんだLinuxでも確定申告申請の書類が作れるじゃないか(繰り返すけど印刷して郵送)あとはPDFを印刷して…

ん?

FireFoxでPDFを開くと、レイアウトが崩れる??
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いやさすがに「他のそ」はマズいな。Adobe Readerを使うことができない弊害がこんなところに出てしまった。じゃあ評判が良さそうなMuPDFを使ってみよう。ソフトウェアの管理からMuPDFを検索してインストールするだけ。簡単。

なんだMuPDFならちゃんと表示される。良かった…?
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…って、MuPDFって印刷機能ができないのね。ううむ。Adobeさん、LinuxAdobe Reader提供再開してくれませんかね?

かくなる上は、PDFからPostscriptファイルに変換して印刷してやる。まずはmupdf-toolsをインストール。

$ sudo apt-get install mupdf-tools

mupdf-toolsがインストールされたら、PDFファイルからPostscriptファイルに変換。このとき解像度(resolution)を指定しないと72dpiくらいの荒い画像に変換される模様。でも720dpiはちょっと細かすぎたかな。

$ mutool convert -O resolution=720 -o [Postscriptファイル名].ps [PDFファイル名].pdf

Postscriptファイルが出来上がったら、lprコマンドでプリンタに出力。

$ lpr -P iP7500 [Postscriptファイル名].ps

というわけで印刷開始。CUPSの管理画面で印刷ジョブが動いていることを確認。
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うん、Linuxでの確定申告申請はおすすめできないなぁ。この書類でちゃんと申請通るんだろうか?

というか、e-TaxLinuxに対応してくれないかなぁ…

駅ビルの3階

クロゼットの奥のバイブル


たびたび話題にしておりますが、古いAndroidタブレット(Nexus 7 2012)を使用して通勤中はdマガジンを楽しませていただいております。ちなみにNexus7 2012はOSを新しくして毎日trimをかけてあげないと次第に調子が悪くなるのはご愛嬌(しかも自己責任でね)
atamanonakami.hatenablog.com

月額400円で手元に数ある雑誌を読み放題ということで、ついつい次から次へと手を出してしまいタブレットにダウンロードしては消化しきれず読み切ることができなかったことも何度か。なんかこう、本屋さんやコンビニでお金を出して購入したときに比べて有り難さというか、雑誌1冊に対する価値が変わってしまったようで手軽に読んでは次から次へ。もう少し雑誌の編集者が本腰を入れて作り上げた特集なんかを読み切って意図を汲んであげなきゃ失礼だ、なんて思うワタシはきっと古い人間。

逆に紙媒体だったら、この雑誌の特集は保存版だ!クロゼットの奥深くに眠らせておこう!ということができなくなったのも事実。まあ家庭内事業仕分けのときに「不用品」または「ガラクタ」または「廃棄物」といった名目ですぐに仕分けされちゃうからそれはそれでいいの、かも。dマガジンにはクリッピング機能があるから手元に保存しておくことはできるけど、タブレットが息絶えたときに救出するのはおそらく困難。そしてクリッピングデータをタブレットの外に出してしまうのは著作権とかあるから可能でもやっちゃいけないのだろう。

若かりし頃、雑誌は重要な情報源だったような気がする。どこかの自動車メーカーから新車が発表されたとなればクルマ雑誌を手に取り、パソコン雑誌を開けば自分の知らなかったコマンドが埋もれていたり、新発売のラジコンカーがピカピカの姿で見開き写真に登場したら眺めてため息をつく。そしてご贔屓のクルマやバイブルとも思えるコマンドの特集に、簡単にはできそうにないほど改造されたラジコンカーなんかを雑誌の中に見つけたら、やはりクロゼットの奥深くやベットの下に積み上げて貴重な情報源として厳重に管理した。

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ライバルメーカーから新車が登場したときや、どうしてもあのコマンドを打ち込む必要性に迫られたとき(どんな時だよ?)お小遣いが溜まってひょっとしたらあのラジコンカーに手が届くのではないかと思い立ったときにクロゼットの奥やベッドの下から貴重な情報たちが声を上げる。ライバルメーカーのこのクルマはホイールベースが長いから小回りは不利だ、このコマンドのパラメータは自分のマシンだったら何を与えれば良いのか、ラジコンカーの本体はともかくプロポはどうすればよいのだ?と試行錯誤が始まる。ネクラ?まあそうかも。ただまあ、おかげさまなのか一般市民として仕事もしていれば家族もありますが。

そして雑誌には「コラム」があった。いや今でもあるけどコラムが面白かった。今のご時世と違いインターネットで同じ趣味をもつ人々と共感したり、マイナーなネタを情報発信する機会など皆無な時代、自分の興味がある分野について深く熱く語る人など雑誌のコラムくらいしか見たことがなかった。いやそれはお前がもっと競技人口が多いメジャーなスポーツとかに興味がなかっただけだろう?と問い詰められたらそうなんだけど、だってそっち方面には本当に興味がなかったんだもん。

コラムには立派な大人な方々が独特の切り口で持論を展開していて、それはその雑誌が本来望む論調ではないことも少なくなかったような気がする。ごもっともと思えるメーカーの方針や製品への手厳しい指摘もあれば、下手するとこの人は何か危ない思想家じゃないのか?騙されないぞ!なんて思ったこともあったような気がする。今の時代、表現はともかくインターネットでそんな罵詈雑言を簡単に眺める(読むと疲れちゃうから眺める)ことができるから、今の時代のほうが耐性は備わるかもしれない。

そんな雑誌への期待、スペックやコマンドのバイブルが埋もれていたりコラムで新しい価値観に出会えるのではないか?という期待を懐きつつ、日々dマガジンで雑誌を選ぶ、いや夜中にいつの間にかダウンロードされている。

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すれ違い


dマガジンでは随分と昔からお世話になっているリンゴマーク専門のパソコン雑誌なんかもあって当然のように読んでみる。その昔はリンゴマーク専門雑誌は2代勢力があって、ご贔屓にしていた方はとっくに廃刊になってしまったからまあ、こちらを読むしかない。前述したような雑誌への期待を懐きながら読み進める。

…うん。

つまらん。

おそらくコンピュータの黎明期を経験した面倒なおっさんの戯言なんだけど、なんかつまんない。

まるでMaciPadを使うのがファッションというか、パステルカラーに溢れた駅ビルの3階あたりをウィンドウショッピングしながら歩いているような感覚というか、まあいい歳したおっさんはそんなことしないから本当かどうか分かんないんだけど、とにかくまあ読んでいると初夏の朝日の木漏れ日に包まれている感覚というか、ステキな絵を書きたければApple PencilとPhotoshop CSで毎月2,180円支払えば貴方も人気クリエータの仲間入り!とか、Siriにお願いしてランチ後のテラス席ミーティングにホットコーヒーをUber Eatsでデリバリーしてもらおう!とか、iPhoneの充電はUSB Type-Cポートが6個搭載されたチタン削り出しボディの非接触充電スタンド98,000円でキマリ!とか(いやオールチタンボディで非接触充電は難しいな)ああそうなんだ?そういう世界なんだあ?そうだよねぇ、日本のApple Store1号店だって銀座だったし、そんな感じかもねぇ、とパラパラめくっておしまい。

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じゃあコラムはどうなんだ。まだリンゴマークが6色だったころからの有名ライターさんがコラムを書いているのを期待を持って読んでみる。

…うーん。

そうなんだっけ?

昔リンゴが6色だったときは経営が青色吐息だったからか、こんなんじゃダメだ!の連発だったけど(この雑誌特有なのかもしれないけど)どれだけ読み進めても初夏の朝日の木漏れ日に包まれている駅ビルの3階のような世界が広がっているように見えてしまう。少なくとも古いおっさんの目線では。

そもそもコンピュータなんだからそんな駅ビル3階の雰囲気じゃなくてそもそもiOSってDarwinオープンソースカーネルがあってだなぁ、ってのはグッとガマン。Darwinカーネルだけじゃ価値を生み出さないのだからどうでもいい人にはどうでもいい。青空の下テラス席で「今日のコーヒーはSiriが淹れてくれたんだな?なかなか美味いじゃないか!」なんてミーティング前のアイスブレイクでアメリカンジョーク(?)を飛ばすことができるほうがよっぽど大切なのだ。そのうちSiriがランチミーティングファシリテーションとか議事録まで出してくれるようになればもう「完全」だ、非の打ち所がない。

雑誌はおっさんが懐かしむ昔の「不完さ」を補うためにバイブルと姿を変え、コラムでは本来あるべき価値観を指標してくれていたのではないか。そこらへんから多大な影響を受けてしまったおっさんは、昔の価値観でdマガジンの雑誌に挑んでしまったのだ。こんな時代なのだから、いい歳したおっさんはそんな固定観念を持ってはいけない。反省。

広い心


大学生のときに同期からかけられたリアルな言葉を今でも覚えている。

「お前がWindowsユーザだったら、もっと使いモノになる奴だったのにな」

当時6色のMachintoshユーザだった自分が作成したレポートがクラリスワークス(懐かしい!)で作られていたため、レポートをパクることができなくて言われたこの言葉。当時は笑ってやり過ごしたけどマイナーな立場というのはこういうことなのだ、と心の底から理解することができた。

そのマイナーなAppleのMachintoshが時を経てMacと名を変え、パステルカラー溢れる駅ビル3階の入り口はこちらですと言わんばかりにコーヒースタンドの窓際に並んでいる。おっさんからしてみるとパソコンショップの店頭でMachintosh用のマウスひとつ探すのだってひと苦労だったんだぞ!と言いたいし、まさかMacがここまでパステルな世界を現実のものとするとは思わなかった。ひょっとして今だったら大学の同期に「お前がMacユーザだったら、もっと使いモノになる奴だったのにな」なんて言われるだろうか?ゴメンね今はLinuxユーザだから、やっぱり期待には応えられないかもしれない。

コーヒースタンドの窓際を目にすると、さすがに見たことも無いようなコマンドやデバイスドライバを組み込むテクニックなんてのを雑誌に掲載する必要が無くなるのは分かる気がする。それらを必要とするのは不完全な機械で、現在の機械はそれらをあまり必要としない完全に近いものなのだろう。昔を知っているのであれば、喜ばしく思い微笑んでコーヒースタンドを眺めようではないか。その高価なハードウェアは少しだけ羨ましいけど。

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AIアドバイザーがやってくる?


最近の世の中を見ているとクルマの運転が自動になりつつあり、スマホアプリで気軽にタップすると自宅までハンバーガーを届けてくれたりタクシーが迎えに来てくれたり、空気を読むなんて古いじゃん?もっと素直に生きようよー!なんて若者が世の中に増えてきたのを見ていると、完璧な機械に頼りまくる未来が本当に待っているのかもしれない、などと思えてくる。えー?まだあの完全完璧なAIアドバイザー使っていないんだ?なんでー?!などと若者たちに指さされるのだ。ちくしよーちょっと悔しい。

つまり、AIアドバイザーの言うことに従えば通勤電車の混雑や遅れは無くなり、AIアドバイザーの言うことに従えば朝から上司は何故かゴキゲンで、AIアドバイザーの言うことに従えばどこの店に入ってもランチは安くて美味しくて、AIアドバイザーの言うことに従えば午後からの仕事は遅れもなくスケジュール通りで、AIアドバイザーの言うことに従えば遅くまで職場にいる必要なんて無いから帰っちゃおう、なんていう「完全」な世界だ。なんだか昨今のAIとIoTが一般化している状況を見ると実現できなくもない気もしてきた。ほんわかとした駅ビルの3階が溢れる時代がすぐそこまで来ているのだ。

練習しよう


だったら古いおっさんは今のうちにパステルカラーが溢れる駅ビルの3階に慣れておこう。当然おっさんが独り3階をフラフラするのは恥ずかしいから、小学生の子供達と手を繋いで行こう。3階までとは言わず5階紳士服売場にも行っていい。どうせ世の中すべてがパステルカラー溢れる駅ビル3階のような雰囲気に満たされる10年後くらいには、白髪混じりのおっさんと手を繋いで駅ビルの3階を歩いてくれるわけかない。ウザいウルサイと煙たがられるのが父親の常なんだし、子供がその歳になったのに手を繋がれても逆に照れる。

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なので今のうちに子供達と駅ビルの3階に行っておこう。きっと駅ビルをウィンドウショッピングしていてもそのうち自分も子供達も「つまんなーい」と言い始めるだろうから帰り道はドーナッツでも食べてこよう。オールドファッションかチョコファッションにダブルチョコレートがいいかな。フレンチクルーラーでもエンゼルクリームでも好きなものを食べてこよう。

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ああそうだ。

お土産でポン・デ・リングくらいは買って帰らなきゃな。何故ポン・デ・リングにしたのかったのかって?それはほら「AIアドバイザーがそう言っていた」っていうことにしておこうじゃないか。AIアドバイザーは「完璧」なんだから、そう言っておけば間違いは無いだろう。今のうちからAIアドバイザーがそう言っていたと言い続ければ、10年後には先見の目があったと尊敬されるに違いない。たぶん。

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ただ10年後、ホンモノのAIアドバイザーがポン・デ・リングではなく、ハニーディップを買って帰った方が良いと言い出さないかが少しだけ気がかりではある。もしそんなことを10年後のAIアドバイザーが言い出したら、なんだか手間をかけて自分でドーナッツを選ぶのが楽しかったからポン・デ・リングにしてみた!と打ち明けてみようか?やっぱり帰宅してから何故AIアドバイザーの言うとおりハニーディップを買ってこなかったのだ!と怒られるんだろうか?

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AIアドバイザーはカスタードクリームにするかエンゼルクリームにするか、店頭で迷うおっさんにも的確なアドバイスをくれるだろうか?いやカスタードクリームとエンゼルクリームだけじゃない。ダブルチョコレートとココナッツチョコレートだって迷う。シュガーレイズドとチョコリングだって悩ましい。いやいやフレンチクルーラーエンゼルフレンチだってそうだ。たまにポン・デ・ショコラが期間限定発売されたりもするし、年に1回くらいポケット怪物とコラボしたりもする。どれも魅力的に映って仕方がないではないか。

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10年後に訪れるであろうパステルカラー溢れる駅ビルの3階が実現してくれる未来は、おっさんにも優しくしてくれるだろうか?ただ、何事にもやたらと手間をかけたがる面倒なおっさんの人間力は試されるかもしれない。面倒なおっさんは時と場合を見て、つまりおっさんたちが得意とする空気を読み、少し素直になってAIアドバイザーの言うことを黙って聞くべきなのかもしれないのだ。

少なくとも店頭でドーナッツを選ぶときくらいは。

ああ、コーヒーのおかわりも、ほどほどにね…

おっさん向けの教科書

イタズラしたかったのです


昨年の話ですが、ちょいと自己研鑽並びに技術検証という名目、つまりエンジニアとしての好奇心を満たすためにイタズラでをスマホアプリを作ってみたのですが(当然ですがアプリは非公開)まあある程度慣れなきゃならない面はあるものの、それなりに動くものを簡単に作ることができてしまう。作れたことに価値があるんじゃなくて、作ったものがどれだけ価値を提供しているかが重視されるということを実感。もうプロダクトを作れることが価値じゃないんだよなぁ。

でもって、イタズラしようとココロに決めたのでもう少しイタズラしたい。まあ時間も無いから凝ったアプリは作れないし、クロスプラットフォーム開発(ひとつ作ればAndroidでもiPhoneでも動かせる。たぶん。)の検証という言い訳にしたいから基本的な動きの検証だけでまずは良いかと。

そうだ先日子供が描いた家族の絵を写真に撮ってあった。スマホアプリの中に家族の名前のボタンをそれぞれ作って、ボタンを押したら絵に描かれた家族の顔が表示されるようにでもしてみよう。あと、ただ表示されるだけじゃ面白くないから「ひみつモード」スイッチを作って家族の中のあの人のボタンを押したらイラストの鬼(以下強烈に自粛)

まあ慣れてしまえばカンタン。程なくしてイタズラアプリは完成。いや公開どころかとても人様には見せられない。ちなみに機材の問題でiPhoneでの検証は未実施。既に本来の目的から逸脱しているけど機材の問題じゃあしょうがない、ことにしよう。

家に帰り家族内で公開。「ひみつモード」スイッチをONにして家族全員でひと笑い。子供達はもう2〜3回遊んでくれるかな?と思ったけど下の子がもう一度遊んだだけでスマホは放置される。うーん、イタズラアプリは家族にすらそれほど価値を提供していない模様。自己研鑽か足りないというか、真剣に考えていないからそりゃそうか。これで大注目されるなら世の中のエンジニアはもっと優遇されてしかるべきだ。
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数日過ぎて下の子から言われる。アプリの中に表示される自分の顔のイラストを某超有名アニメ、ポケット怪物に登場する超お気に入りノーマルタイプキャラクターにはできないの?と純粋な憧れを全面に押し出しながら問われる。

おおお、関心を持ってくれたのだから親としてチカラいっぱい受け止めて受け戻してややらなければならない。ただ、言われた通りアプリを修正してポケット怪物のイラストなんかに入れ替えたりなんかはしない。残酷かもしれないが世の中、世界のルールの一端を知るためにはとても良い機会ではないか。イタズラでアプリを作った上にBlogに実益の無い日本語を垂れ流しているお前が偉そうに親の顔して威張るな、というご指摘は今回際棚上げ。

世の中のお約束


ポケット怪物のイラストに入れ替えるのはこのご時世カンタン。おそらくゴニョゴニョしてスマホアプリのビルドをしてしまえばそれまで。下手したらビルドしている時間の方が長いかもしれない。ただ世の中のお約束としてそれはやってはいけない。本心ではないのに大義名分を大声で言うなと他の大人からお叱りを受けるかもしれないけどそれも今回棚上げ。子供達よよく聞け、ざっくり言うとこういうことだ。

  • 世界には「著作権」という法律(おやくそく)というものがある。ポケット怪物のキャラクターを一生懸命考えてテレビアニメや映画やキャラクター付き歯ブラシを売ってゴハンを食べている人がいる。勝手にポケット怪物のキャラクターを使ってはその人たちがゴハンを食べれなくなる、かもしれない。

  • とはいえどうしてもポケット怪物のキャラクターを使いたかったら、キャラクター考えた人にお許しを得なければならない。そしてお許しを得る代わりにものすごくたくさんお金を払わなければならない。たぶん。

  • ところがどっこい、某国ではあんまりそのへん気にしていないみたい。先日も某超有名な赤と緑のオーバーオールを着た兄弟が奮闘する横スクロールゲームが某国の公的機関で堂々とパクられたらしい。世界にはそんな国もある、ということは覚えておいたほうが良さそうだ。

なんて大きい顔をして語ったところ「じゃあキャラクターなんて何も考えない方がいいじゃん」なんて言い始める。いやいやそう言うな。某キュートな最近コラボしまくり白猫さんが代表的なあの会社で、年中ほっぺたが垂れ下がった某パンダキャラクターがいる。聞くところによると社内でさんざん新キャラを考えてはダメ出しをされてへこたれて、もうイヤになっちゃった自分の姿をパンダにしたら世の中に爆発的に受け入れられたらしい。だから最初から止めておいたほうがいいなんて考えるもんじゃない。世の中なにがウケるのかわからないのだから。

オリジナルキャラ


なーんて偉そうに語ったさらに数日後、帰宅すると下の子に呼ばれて3枚の紙を見せられる。紙には色鉛筆で描いた見たことがないキャラクターとミラとラミとキラの文字。なるほどどうやらこれはオリジナルキャラクターを考えたらしい。親から子供への教育としては正しい方向へ導くことができたのではないか?

よくやった。その気持ちが大切なのだ。考えるだけでなく実際に手を動かし世の中にふたつと無いオリジナルキャラを生み出した気持ちが素晴らしい。部分的になんとなく例のポケット怪物に似ているような気もしなくはないのだけれど、ミラととラミとキラはCマークが付くお前だけのオリジナルキャラだ。今のうちに商標登録だけでもしておこうか?
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ポケット怪物は偉大だ。子供達の心を動かし勇気を与え、お小遣いからポケット怪物カード欲しさにコンビニで毎週のように数百円を導き出し、チョコレートの箱や菓子パンの中にキラキラ光るキャラクターシールを忍ばせるだけでスーパーに入荷したと思ったらいつの間にか無くなっている。そして不条理にも感じる著作権という大人の都合が世の中を支配していたとしても、子供にオリジナルキャラを作らせるほど憧れを抱かせるカリスマなのだ。ポケット怪物がオープンソース化されたら世界を征服できるかもしれない。いや既に地球は征服したも同然と思われるから、月や火星くらいも征服できそうだ。

影響を受けたもの


これは勝手な思い込みなのだけど(いやそもそもこのBlogは思い込みのカタマリだけど)我々多くのおっさんが子供のころ影響を受けてしまったのは赤と青と白の大型ロボットが宇宙や地球で使命を果たすために戦うアニメのファーストシリーズである。ただ一体しか製造されなかったあのロボットにニュータイプと呼ばれる能力を備えた少年(青年?)が乗り込み、百戦錬磨の戦いを挑むあのアニメだ。バックグラウンドに漂う悲壮感には子供ながらに大きな影響を受けたような気がする。その昔生き別れになってしまい、立場上は敵味方に別れてしまった兄妹の再開と、そしてまたすぐに別れてしまったシーンも涙を誘うではないか。

最終回も涙なしには観ることができなかった。敵の要塞に忍び込み、頭部と左腕を失いその言葉のごとく身を削りながらライバルとの一騎打ちに挑み、天頂に向かい撃ち放たれたビームライフルの一撃でライバルを倒すのである。ここでニュータイプの主人公は息絶えてしまうのかと思いきや満身創痍の姿でズタボロになったロボットからやっとの思いで脱出する。
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どこか最近の(特に自分が身を置いているIT業界で多い)サラリーマンを思わせる姿ではないか?自暴自棄の思いでプロジェクトと会社に全身全霊を捧げ、確かに最終的に全体としての目的を達成はするがイチ個人としては目も当てられない姿になってしまう。どこかズタボロになった赤と青と白のロボットと深夜のオフィスのサラリーマンは姿が重なりはしないか?そして最終回では天頂ではなくきっとプロマネに向かって痛恨のヒトコトを打ち放ち、やっとの思いで暗黒のプロジェクトから脱出するのである。まずい涙無しにその姿を見ることなどできるはずがない。いやホントに。

最近そんな姿は求められない、いや中にはそんな姿のほうが有り難く感じる古い人がいるかもしれないけど、時はポケット怪物の時代に変わったのだ。一人と一匹とが心を一体にし、全員でゼロからの成長をすることが求められる。まず第一にモンスターボールを投げつけても怪物が納得してくれないと仲間になろうともしやしない。「そもそも論として、あなたをトレーナーとして共に戦う必要があるんでしたっけ?」から始まっている。肩書やそれとは違う派閥構成とか一切関係ない。一対一の信頼関係が築けるかどうかが問題であって、周囲の大義名分は重要ではない。心が通じ合わなければZワザだって繰り出すこともできるワケがないじゃないか。

戦いが始まったとして悲壮感漂う絶対的なバックグラウンドがあるから戦わざるを得ないわけではない。自らのスキルアップと成長を求めて戦うのだ。スキルアップを重ね大きく成長をするたびに2回くらい元の姿が分からないほどに姿を変える。それは肩書なんていう見栄やプライドが詰まったものではなくて、出世魚みたいに本質的に中身が変わるから名前も姿も変わるのだ。そしてだ、戦いに勝っても決して息の根を止めたりはしない。戦いに敗れ戦闘不能になったとしてもジョーイさんが待っているポケット怪物センターに運んでいけば敵だろうと味方だろうと絶対に亡くなることはない。いやポケット怪物が亡くなってはいけない。そんなことまでして戦う必要はないのだ。ポケット怪物のアニメが放映されるようになった20年前くらいから、時代はそう変わりつつあったのだ。その気配に気づけなかった自分も含め、おっさん達は強烈に反省すべきだろう。

どちらが良いとか悪いとかはおそらく結論が出ない。ただ時代はポケット怪物のような世界に流れているような気がする。だからおっさんはポケット怪物を学ぶ必要があるだろう。

ポケット怪物に学ぶ


ポケット怪物から学ぶことは多い。おっさんがイイ姿を見せてやらなければと思ったら、カイリキーのように優しく力強い姿を見せなければならないだろう。若者がコイキングのように幼く弱々しい姿であったとしても油断していたらやがてギャラドスのように力強い姿に進化するかもしれない。職場にはサーナイトのようにサイコパワーを使うお局様もいるだろうし、マーシャドーのように常に影に潜んでいる古株もいるだろう。シェイミのように姿は可愛らしい新人でも誰もできないテレパシーなんていう特殊能力を使ったり、メタモンみたいにコロコロと言うことや姿を変えたりする調子の良い奴だっているじゃないか。そしてアルセウスの前では誰もが皆無力にならざるを得ないのだ。
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どれも皆最初は可愛らしい姿をしているからといって油断してはならない。実はポケット怪物には昨今の若者の理想と本音と目指したい姿が込められている。おっさん達は若い人たちの本心を知るためにリファレンスとして、毎週ポケット怪物をテレビで観るべきである。いや、可能ならば毎年一度必ず上映される劇場版を見に行くべきである。その純粋な想いがダイナミックに描かれていることに心揺さぶられ、涙を流すこと必然なのだ。

だから若者の本心を理解するためにおっさん向けの教科書だと思って劇場版を観に行こうじゃないか。若者を迎えたチームでコミュニケーションができないと言い放ちサジを投げたり、チームビルディングがそもそもできなくなっているとか理屈を並べたりするくらいなら、劇場版ポケット怪物を見に行って個性豊かな若者たちがバトルしていると思いながら観れば若者の本心が理解できるだろう。そして若者の感性に触れ、目頭を熱くできればおっさんも若者の仲間入りだ。若者達と共に涙しようではないか。

ただし、映画館で泣いているのはナイショなのだ。そこはおっさんの「恥じらい」ということで許してくれないだろうか?いい歳した普通のおっさんがポロポロと泣く姿など誰も見たくはない。満員通勤の雑踏に飲まれ、トラブっても職場では冷静を装い、お昼には限定20食のランチが売り切れ、おっさんもなかなかいろいろとタイヘンなのだから、どうかそこはひとつ許してほしいのだ。

こう考えると映画館には、オッサンではなくメッソンが何匹も隠れて泣いているに違いない。泣き虫ではあるけれど、最新作ソード&シールドの御三家キャラだと思うとオッサンのメッソンもまあ悪くはないではないか。

オッサンのメッソンは映画館に隠れている。そして見つけたら捕まえようとしてモンスターボールを投げつけようなどとせず、そっとしておいてあげよう。スーパーボールやハイパーボールなんて持っていても絶対に投げつけてはいけない。だってその時だけオッサンのメッソンは、少年の心に戻ることがてきているのだから。

SNSとはてなブログが連携されない

おっと

セキュリティ重視の観点からかIFTTTを使ってSNSはてなブログが連携されなくなった模様。これは、当ブログの更新頻度が格段に落ちてしまうなあ。

楽天が筑波大と開発、店頭で商品レビュー読み上げるロボットの効能

店頭でECサイトのレビューを読み上げてくれるレビューくん。ネガティブとポジティブの二人がネガティブポイントとポジティブポイントを読み上げて「ウィンザー効果」を引き出す、らしい。ぜひ入社面接とかでも二人に登場してもらってウィンザー効果を導けば入社間違いなし?? newswitch.jp